薫がその少年と会ったのは春だった。
 春だと言うのに桜一つ咲かぬ庭、その縁側に自分と年の変わらない少年が腰を掛けていた。
 唇が微かに動いているが言葉は聞き取れない。
 虚ろな瞳が不安を誘って、気が付いたらその家の垣根を越えていた。
「お前は何をしている。」
 少年は答えない。それどころか薫に気付いてもいないその様子でまるで人形だった。
 絹糸の髪に黒曜の瞳、唇は桜貝に似ている。そんな美しい少年だった。その艶やかとも言える容姿が更に少年から生の気配を取り除いている。
「死霊か、ならば成仏させてやる。」
 薫は怖くなって右手に炎を纏った、少年は応えない。
 手をなぎ払って目の前から彼を消したかった、捕まるわけにはいかない。
しかし。
 絶対のはずの炎が、そこまでは届かなかったのだ。
 けれども焼き払われる代わりの変化を炎は少年にもたらした。
「お前は誰だ?」
 小さな唇が始めて明確な言葉を綴る。
「薫。」
 後悔したのは誘われるように本名を名乗ってからだ。少年は少し目を丸くして、
「京。」
 どうやらそれが彼の名前らしい。
「勝手に入ってきたら叱られる、そこの垣根、3番目の杭の隣に穴があいている。」
 皆まで聞かなくても京が薫を追い返そうとしているのは明白だった。でも薫には踵を返す事が出来ない、京の姿に目を奪われて動けなかった。
「どうしても来たいなら鐘が4つなった後。その後一時間は、一人だから。」
 京がどうしてそんな事を言ってくれたのか分からない。けれどその一言で薫の足は何の抵抗もなく垣根の裂け目に向かう。

 いつもの道に戻って。
 どうしてだろう、鼓動が早い。
明日は時間にここに来よう。
そんな事を思い家路についた。

 

 

 

 

 

 

 放った蹴り技が見事に急所に決まった。
 炎こそは纏わせていないもののこれはそのための技型だ。応用が叶えば敵は無くなると思える高等な技。それをついに習得したというのに、
不可解だ。
どうしても心の中は鉛色だ。
何も楽しくない、望みも無い。
無味乾燥な時間の中で鐘が3つ。
薫は鍛錬を切り上げた、
 いつもより少しだけ上等の着物に着替えて家を出る、このまま歩けば鐘4つの頃には京の家に着く筈だった。
 その途中の畦道で村の小僧どもが水遊びをしている。自分自身やった事の無い遊びだったが楽しそうできらきらと光る雫が美しいと思った、京にはさぞ映えるだろう。
 想像に少しだけ胸を弾ませて垣根をくぐると、京はいつものように縁側に腰掛けていた。足がブラブラと、手持ち無沙汰に揺れている、その手の中に大きない向日葵が抱えられていた。
「どうした、それは?」
 尋ねると、
「ばばに貰った。いいだろう。」
「・・・水遊びをしよう。」
 同感出来ない言葉には無視を決め込んで薫が言う。それでも京は「うん」と頷いて庭の小さな池を指差した。
 袖をまくって裾をたくし上げて。二人して馬鹿のようにはしゃいだ。水しぶきは綺麗で、それよりも京の楽しそうな笑顔が綺麗で。
「向日葵よりいい。」
 ぼそりと漏れた独り言。
 けれど何かを言う前に音を聞きつけた家人に見つかりそうになって、薫は慌てて帰る。

 また一人になっても。
 何だか幸せで楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 はらりと舞い散る黄金色の一片。
 手に取れば何の変哲もない枯葉をどちらが多く取れるのか競ってみた。中途半端な速度では逃げていく、想像のつかない動き、単純な遊びだけれど夢中になった。
 また一枚、
 空から黄金が降ってくる、
 たった一枚、
 そこに手を伸ばして。、
「「あ」」
 逃げられた獲物の変わりに握り締めたのはお互いの手。
 始めはひんやりとしている程なのに、握っているうちに馴染んだ体温が暖かい。
 不自然な高さにある手を下げる、でも手は放さない。
 そこに、安心があったから。
 鐘一つなるまで、薫は京の手を握っていた、京もそれを振り解こうとはしなかった。
「もう、帰らないと。」
 いつもの、少し焦点の合っていない目で京が言った。
 自分は傲慢な男だという自覚があると言うのに、どうしてか薫は京の言葉に逆らえない。
「また、明日。」
 精一杯の約束で庭を出る。
 空の手が寂しかった。
 どうして京は、あんなに夢のようなのだろう。時々考えてしまうのだ、全ては夢なのではないかと。いつか彼はこの手の中をすり抜けてしまうのではないかと。
 楽しいのに切ない、それは京と一緒に居る時にいつも感じている事。
 その想いが何なのか、今日気が付いた。
 薫は京に触れたいのだ。触れて、自分の物にしたいのだ。
 次の日には悩む事なく打ち明けた。京は、
「馬鹿か、お前は。俺だって、男なんだからな。」
「ならばこの手を振り払えばいい。」
「馬鹿野郎。」
 そうして薫は、始めてその手に京を抱いた。

 

 

 

 

 

 縁側の端、一つの膝掛けに二人で包まるのが日課になっていた。
 天気が崩れれば雪になる、そんな陽気の中でもすぐ隣にある体温は変わらず暖かい。
「京。」
 その声に反応してこちらを向いた唇にそっと自らのそれを寄せた。
「何すんだよ。」
 目の端に小さな涙を浮かべながら、バッと膝掛けから出て言ってしまう京。
「そんな所に居ると寒いだろう。」
 薫は問いには答えず、ただ膝掛けの端を上げて京を招く。本人は気が付いていなかったけれど、そう言う顔があまりに。
優しかったから結局京はまた薫の隣に収まるのだった。
 それはきっとこの人生の中でもっとも幸福な時間。
 お互いの身じろぎすら、些細な動作すらが愛しくて抱く腕には力がこもった。
けれど。
「何をしておる。」
 幸福すぎる現実は、必ず終末を告げる。
 寄り添う二人を見て金切り声を上げたのは深い皺の刻まれた老婆だった。薫は彼女の正体を知らない、それでも彼女の目的は分かった。
 京と別れるなど考えられるものか。
 膝掛けから出て京を庇い自分は臨戦の構えをとる。
「その構え、南のか。汚らわしい。」
 蛇蠍を見るような目で老婆は言った、どうやら因縁のある相手らしい。
「消炭にしてくれる。」
 青白い炎が右手で爆ぜた。
が、
 老婆の嘲笑一つ、炎が消えた。
 それ以来どんなに呼んでも火は出ない、それどころか殴りかかろうとした腕すら動かす事が出来なかった。
「ここは東の結界の内よ。」
 それは怨敵の名前だった、そして結界を操る老婆は東の巫女という事になる。ならば京は、
「きょ、お。」
 振り向いた先の顔は、出会った頃と同じ虚空を見ていた。そのまま、すいと薫の前に出て、
「ばば、俺はもうこいつの事忘れるよ。だから。」
 老婆は笑い、
「よかろう。」
 京は最後に薫の方を見て笑った。そして、
「楽しかったよ、けど、」
 どこか全てを超越した笑顔でそれだけ言って、初め見た時と似た響きを持つ言葉を唱え始めた。
 薫にはその意味は分からない、けれど。
「止めろ。」
 印を結んでいた手が自らの頭に向けられたとき、薫は叫んでいた。
 それでも止まらない手は額に触れて
(さよなら)
 京は口にしなかったけれど、確かに唇はその形を作っていた。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「駄目だよ、こんな所に入ってきたら。」
 余所余所しい笑顔で京は言った。
「京。」
 薫は名前を呼ぶけれど。
「どこで知ったか知らないけれど、人の名前は気安く呼ばない方がいい。」
 冷徹に言い放つ京の顔には薫の知っている子供らしさはなかった。
「去ね。」
 薫が庭を出たのは恐怖ではなくその言葉が京のものだからだ。
 そしてもう少年は、
 二度とこの庭を訪れる事はないだろう。

 

 

 

 

 


 春が来た。
 空一杯に広がっていた桜は先日の雨で随分寂しくなっている。だけれど、
「見て見て、お兄様。取っても綺麗。」
 積もった花びらを宙にを振りまいてみるのはこの頃だけの特権。桜吹雪の向こうに無邪気な妹の笑顔が少し霞んだ。
 妹は自分と似ていない、綺麗な黒髪をしている。
 それは誰かを連想させた。
「お兄様、これ。」
 その声に目を向けると満水は手の中にある物を差し出していた。
 それは一振りの見事な桜の枝、そこには未だ美しい花が咲き誇っている。
「手折ったのか。」
「だってお兄様にも見せたかったんですもの。」
 満水のこういうところは可愛いらしい。でもそれを甘やかしてしまう事は出来なかった。
「木が可哀想だろう、命を粗末にするな。」
 満水は一瞬シュンとなったが、
「これからは、気を付けます。」
 素直に謝る。
「いい子だな。」
 言うと満水は枝を差し出した。
「でもこれは、お兄様に差し上げます。桜、好きでしょう。」
 その言葉に少女の行動の理由を悟った。
「分かった、だがもう二度とするなよ。」
「はい。」
 花のような笑顔でそう言って、手習い事に出かけていく満水。
 桜の枝は、薫の手に残された。

 

 

「どうしました、京さん。」
「いえ、何でも。」
 ばばの声に京は慌てて手の中のそれを隠した。
「では鐘5つに迎えにきますね。」 
 そう言うばばをやり過ごしてまた手の中に視線を戻す。
 それは見た事のない桜の枝だった、おそらく話に聞くソメイヨシノだろう。この家の庭には平安の頃には無かった植物はない、だから実物を見るのは始めてだった。
 けれど残念な事にその桜の枝は無残に折られていた、それが少し悲しい。それでも、
「とても綺麗だな。」
 手折られる事がなければ自分の目に入る事も無かった花を京は一人抱きしめた。
 始めて触る花なのに、不思議と感じてしまう。
 甘酸っぱいような懐かしさと共に

 

 


 


昔書いた短編です。
書けなかったけどこの後二人は成長してからで他人として出会います。以上。
一応恋のPOEMを元にして書いたお話。私もそろそろ末期です。
元ネタを見つけられた方、生暖かく見守ってやってください;;